アラビア語にまつわる情報を集めました。
ぼくは船に乗りました。エジプトからスーダンへ、ナイル川を溯る船。大きくてなかなか立派な船でした。これはそんな一泊二日の船旅の記録です。
ぼくはリュックを背に、甲板にのぼりました。いちばん安いデッキクラスのチケットを買ったので、ここがぼくの居場所なのです。しかしこんなに暑い国の真っ昼間に、甲板なんかにいれるわけがありません。わずかな陰の部分はすでに占領されていました。ぼくは荷物だけ甲板に残し、船内に入りました。
冷房の効いている大部屋に空いている座席を見つけ、そこに座りました。部屋の座席はほとんど人で埋まっていましたが、その割には静かでした。スーダン人が多いようです。エジプト人だともっとうるさくなるはずですから。スーダンに行くのは今回が初めてでしたが、ぼくはエジプトで何人かのスーダン人に会ったことがありました。エジプトの、もしくはエジプト人の喧燥に疲れ、擦り切れていたぼくにとって、彼らの穏やかで静かな目はオアシスのようでした。ぼくはスーダンに行く前からスーダンを好きになっていました。そしてそれは、この旅行から六年経ったいまでも変わりません。
後ろの座席に、母親とおぼしきおばさんと一緒に座っていた女の子が、アラビア語で話しかけてきました。ぼくはアラビア語を挨拶程度しか解しませんが、手に平べったくて丸いざらざらしたパンを持ち、ぼくのほうに差し出していたので、「食え」と言っているのがわかりました。
「ショクラン」
礼を言い、ぼくは遠慮なくいただきました。素朴な風味のパンにかぶりついていると、女の子は、今度は英語で、
「シュガー、シュガー」
と言ってきました。なんのことだか理解できず、とりあえずうなずいていると、小さな瓶を手渡されました。ふたを開けてみるとそれはハチミツでした。
若い男にもシャーイ(お茶)をおごってもらい、少し話もしました。話の内容は覚えていません。たぶんどうでもいいようなことだったのでしょう。船の乗務員がチケットの確認に一度来ました。ぼくのデッキクラスのチケットを見て、甲板に行け、といったようなことを言われましたが、
「ここのほうが涼しい」
と、わがままなことを言っていると、めんどくさくなったのかおとがめなしで去っていきました。
アラブの国々を旅行していると、船でバスで、汽車でカフェで、映画館で道端で、あらゆる処でごちそうになります。それは一杯のシャーイや一本の煙草といったちょっとしたものですが、気前よくわけてくれます。旅行者からぼったくったり、バクシーシと言っては気前よく金を掠め取ろうとする輩も大勢いますが。旅行者にとって、望む望まざるにかかわらず、いい意味でも悪い意味でも、人との 「摩擦」 は避けられないところです。
ぼくは太陽が沈んだので、甲板に戻りました。太陽さえ消えてしまえば、座席で窮屈な姿勢で眠るより甲板で体を伸ばして寝るほうが快適に決まっています。
はしごのように急な階段をのぼって甲板に立つと、視界がぱっとひらけました。濃紺の夜空に、恐ろしくなるほどの数の星が瞬いていました。ここでなら、「星の数ほど」 という言葉も説得力があります。
薄着の身には少し肌寒い風が吹き、甲板の上では白い服に白いターバンを巻いた男たちが、メッカの方角に向って一心に祈りをささげていました。
ぼくは空いている場所に寝袋を敷いて横になりました。河の水をかき分けて船が進む音と、祈りの呟きを聞きながら、船の振動を背中で感じました。そして、砂漠の民とイスラム教が、ごく自然な組み合わせのように思いました。砂漠を流れる河と、夜空の星と、祈りをささげるイスラム教徒。その組み合わせが「絵になる」というただそれだけの理由からなのですが。
ぼくはふしぎと満ち足りた気持ちでした。それは、「なぜ旅をしているのか」という根源的な自問、ときに「現実逃避」という言葉をぼくに突きつけ、将来への不安を誘発させたその自問が、そのときぼくの内で、自然なかたちで、理屈を超えて、自答されていたからなのかもしれません。
船は翌朝スーダンの北端の町ワジハルファに着きました。砂漠の厳しさがひしひしと伝わってくるような、小さな町でした。そこにはそこの物語がありますが、それはまた別のはなし。
☆くまねごのブログ
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