アラビア語にまつわる情報を集めました。
平成20年2月17日(日)
アンジャル遺跡を後にしバールベック遺跡目指してバスで北上した。
バールベック遺跡に近づくにつれ路線の中央分離帯に黄色い旗と黒い旗が掲げられているのが頻繁に目につくようになる。黄色い旗はヒズボラの拠点であることを示しており、黒い旗はシーア派の多い地域であることを誇示しているのである。また男の顔写真も掲げられている。これは内戦で戦死した戦闘員の写真だ。
また暗殺されたハリーリ元首相と現大統領の顔写真も道路周辺の建物に数多く掲げられているのもイスラム国特有の現象である。
やがて妊婦の石と呼ばれる巨大な石が切り出されないままに露出している石切り場へ到着した。左手前方にはバールベック遺跡が小さく見えている。
遺跡へ行くには町中の道路を通過しなければならないが細い道なので路上駐車している車が邪魔になって大型バスは通過できなくてたちまち渋滞が発生する。
店の人達が出てきて駐車している運転手を探し出し移動させてくれ何とか通過できたが、時間を浪費してしまった。
渋滞している車の中に日本ではとても運行が許可されないような整備不良の旧式な車が混在していた。
バールベックは「平原のバール」を意味するアラビア語であり、古代からパレスチナの豊穣神バール礼拝の中心地であった。
ギリシャ人はこの地にヘリオポリス(太陽の都市)を建設し土着のバール信仰とギリシャの多神教の神々を融合した。BC16年ローマ皇帝アウグストウスはこの地を植民地とした。
その後歴代の皇帝はジュピター神殿、バッカス神殿、ビーナス神殿等を200年以上の歳月を費やして建設し、華麗で繊細なローマ様式の装飾を施した。
4世紀にキリスト教がローマの国教になるとバール神は異教とみなされここには教会が建てられた。
イスラム時代にはローマ神殿は城砦に模様変えされた。その後バールベックは衰亡の道を辿り、1579年の大地震により廃墟になった。発掘は19世紀半ばであった。 ここでは六角形の前庭と大庭、ジュピター神殿、バッカス神殿、ビーナス神殿跡を見学した。施された装飾の中に明らかに途中で製作を中断したと推定できる部分があり何らかの政治的な事情があったものだろうと興味をそそられた。
... アラビア語の「abul-mosk=じゃこう(香り)の父」が語源 ◇学名:Abelmoschus manihot(Manihot=ブラジル名) 既に朔菓(種)まで出来ています。 花びらは横の方向を向いて咲くため、『側近盞花(そっきんさんか)』とも呼ばれます。 ...
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... 真剣に考えると僕の書いてるこの言葉、あ、日本語っていうんですけど みなさんにとってなじみ深いアラビア語のように右から左へ読む言語じゃないんで サイドバーで記事部分に読みたい記事を表示して、そのまま左から読むってことを考えれば 視線誘導とし ...